エクセター事件1965——警官2人が見た「5つの赤い光」:空軍が謝罪し「未確認」と認めた最重要事案を徹底検証
1965年9月3日未明、米ニューハンプシャー州エクセターで18歳の青年が遭遇した「5つの赤い光」の巨大物体を、現職警察官2人が現場で追認した。ペンタゴンは「星のまたたき」と発表するが、警官たちの抗議の手紙により空軍は説明を撤回、事件を公式に「未確認」と分類し謝罪する——UFO史上でも異例の経過をたどった本事案について、フラーのベストセラー『Incident at Exeter』、2011年のKC-97空中給油機説とその弱点、そして「目撃者への嘲笑がデータを消す」という現代UAP問題に直結する教訓まで、PURSUE//JP編集部が多角的に徹底検証する。
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はじめに——警官2人が「公式記録」に残したUFO
UFO事件の多くは、目撃者の証言だけが頼りだ。だが1965年9月3日未明、米ニューハンプシャー州エクセターで起きた事件は違った。18歳の青年の証言を、現職の警察官2人が現場で「同じものを見た」と公式に裏付け、空軍のプロジェクト・ブルーブックが最終的に「未確認」と認めざるを得なかったのである。
さらにこの事件は、ペンタゴンの拙速な「星のまたたき」説明、警官たちの抗議の手紙、空軍の異例の撤回と謝罪、そしてベストセラー書籍による全米的な論争——と、その後のUFO問題の縮図のような経過をたどった。事件から60年。本記事はPURSUE//JP編集部の視点から、「インシデント・アット・エクセター」の全貌を多角的に検証する。

第1章:1965年9月3日午前2時——ルート150の青年
事件の発端は1965年9月3日午前2時頃。18歳のノーマン・マスカレロは、ガールフレンドの家からエクセターの自宅へ、人気のないルート150をヒッチハイクで戻ろうとしていた。海兵隊への入隊を数週間後に控えた、ごく普通の青年だった。
隣町ケンジントン付近の農場にさしかかったとき、木立の向こうから5つの赤い光を弧状に並べた巨大な物体が音もなく浮かび上がった。マスカレロの推定で幅24〜27メートル(80〜90フィート)、「納屋よりでかかった」。光は目が痛むほど強烈で、右から左、左から右へと約2秒周期で順に明滅していたという。
物体が自分の方へ滑るように迫ると、彼は道路脇の溝に飛び込んだ。物体が農家(ラッセル家)の上へ移動した隙に家のドアを叩いたが応答はなく、通りかかった車を半ば強引に止めてエクセター警察署へ駆け込んだ。当直のレジナルド・トーランド巡査は、青年が蒼白で震えていることに気づいた。
第2章:警官2人も見た——「あれは航空機ではない」
このとき署に戻ってきたのが、ユージン・バートランド巡査だった。実は彼はその1時間ほど前、ルート108の路上で取り乱した女性ドライバーを保護していた。女性は「赤い光を明滅させる物体がエッピングから約19キロにわたって車を追ってきた」と訴えたが、バートランドは半信半疑のまま帰していた。
マスカレロの証言と符合することに気づいたバートランドは、彼を乗せて現場の農場へ戻る。午前3時頃、2人が牧場に足を踏み入れると、家畜の馬が騒ぎ、近隣の犬が一斉に吠え始めた。直後、木立の陰から例の物体が音もなく上昇し、木の葉が舞い落ちるように揺れながら2人の方へ接近してきた。バートランドは一瞬拳銃に手をかけ、思いとどまってマスカレロをパトカーへ退避させた。
無線連絡を受けて駆けつけたデビッド・ハント巡査も、物体が木立の上を移動し、やがて海の方向へ消えるまでを目撃した。後に2人の警官はこう記録している——「物体は完全に無音で、ジェットの排気音もローター音もなかった。翼も尾翼もなかった。野原全体を照らし、近くの家2軒が真っ赤に染まった」。
目撃者は蒼白の青年1人ではなく、訓練を受けた現職警察官2人を含む複数人になった。エクセター事件が「史上最も文書化されたUFO事件の一つ」と呼ばれる理由がここにある。
第3章:空軍の迷走——「星のまたたき」から「未確認」まで
事件はAP通信で全米に報じられ、空軍は対応を迫られた。近隣のピース空軍基地はデビッド・グリフィン少佐らを調査に派遣。少佐の報告書は「推定原因に到達できない。目撃者は安定しており信頼できる」と率直に記していた。
ところがペンタゴンは10月、調査結果を待たずに「目撃されたのは大気の温度逆転層による星や惑星のまたたきにすぎない」と発表する。続いてブルーブックは、当夜実施されていたSAC/NORADの訓練演習「ビッグ・ブラスト」の航空機を見た可能性を示唆した。
これに警官2人が公然と反発した。1965年12月2日と29日の2通の手紙でブルーブックに抗議したのだ。要点は明快だった。
- 目撃は演習終了から約1時間後であり、時間が合わない
- 当夜は快晴・無風で、温度逆転層の条件がない
- 至近距離で見た物体に翼も尾翼もなく、完全に無音——いかなる在来機とも一致しない
- 「ペンタゴンの『最終評価』公表以来、我々は相当な嘲笑の的になっている」
結果は異例のものだった。1966年1月、空軍長官室のジョン・スポールディング中佐は書簡で「1965年9月3日に貴殿らが目撃した物体を特定できなかった」と認め、事件は公式に「未確認(Unidentified)」へ分類し直された。さらに同年の連邦議会公聴会の過程で、空軍は警官たちへの扱いについて謝罪している。
第4章:ベストセラー『Incident at Exeter』——世論を変えた一冊
この経過を徹底取材したのが、サタデー・レビュー誌のコラムニスト、ジョン・G・フラーだった。彼は現地に長期滞在して60人以上の住民に取材し、エクセター周辺で同時期に目撃報告が群発していたことを掘り起こした。
1966年に刊行された『Incident at Exeter(エクセター事件)』はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに入り、ルック誌の抜粋記事とあわせて全米にUFO論争を再燃させた。同年のコロラド大学UFO研究(コンドン委員会)設置へ向かう世論のうねりの中で、本書が果たした役割は小さくない。
第5章:2011年の「解決」——KC-97空中給油機説とその弱点
事件から46年後の2011年、懐疑派調査員ジョー・ニッケルと元空軍少佐ジェームズ・マクガハが、スケプティカル・インクワイアラー誌で「解決」を発表した。ピース基地に配備されていたKC-97空中給油機が、給油ブームを約64度に下げた姿勢で飛行しており、胴体下面の5つの赤い誘導灯が1-2-3-4-5-4-3-2-1と順に明滅する——これが弧状の赤い光の正体だ、という説である。
一見エレガントだが、反論も根強い。主要な論点を整理する。
| 仮説 | 説明できる点 | 説明できない点 |
|---|---|---|
| 温度逆転層(星のまたたき) | 遠方の光の揺らぎ | 当夜は快晴・無風。至近距離・低空の巨大物体と不整合 |
| 演習「ビッグ・ブラスト」 | 当夜の航空機の多さ | 目撃は演習終了の約1時間後。B-47は5機とも「無関係」と基地が報告 |
| KC-97給油機(2011年) | 5灯の順次明滅・傾いたブームの揺れ | 4発レシプロ機の轟音が「完全な無音」と矛盾。低空ホバリングも不可能 |
| 未知の飛行体 | 無音・低空静止・急機動・動物の反応 | 写真・レーダー等の一次物証がない |
KC-97説の最大の難点は音だ。KC-97は4基の大型レシプロエンジンを持ち、給油高度から大きく降りた低空ならなおさら、静かな午前3時の田園で聞き逃せるはずがない。目撃者全員が「完全な無音」を強調し、しかも物体は木立すれすれの低空で静止・旋回している。「解決」は現在も解決として定着していない。
第6章:PURSUE//JPの視点——「嘲笑のコスト」という教訓
エクセター事件の本当の主題は、円盤の正体よりも制度の振る舞いにあると編集部は考える。
第一に、ペンタゴンは調査完了前に「星のまたたき」という結論を発表した。現場のグリフィン少佐が「原因不明・目撃者は信頼できる」と報告していたにもかかわらず、だ。第二に、その拙速な説明が目撃者——それも職業的に観察と報告の訓練を受けた警察官——を「嘲笑の的」に変えた。第三に、それでも警官たちが公式に抗議し記録を残したからこそ、空軍は撤回と謝罪に追い込まれた。
この構図は、2017年のニミッツ事件公表以降、米海軍パイロットたちが語った「報告すればキャリアに傷がつくから黙っていた」という証言と正確に重なる。目撃者を嘲笑する文化は、データを消す。エクセターの警官2人が示したのは、公式記録に残すことの力だった。60年後の現在、米政府がUAP報告の「スティグマ除去」を公式方針に掲げるに至った道の起点に、この事件はある。
なお地元エクセターの町は2010年から毎年「エクセターUFOフェスティバル」を開催しており、2025年には目撃60周年を迎えた。マスカレロは2003年に55歳で世を去るまで、証言を一度も撤回しなかった。
「目撃者は安定しており、信頼できる」——空軍自身の調査官がそう書いた事件を、広報が一晩で「星」に変えた。UAP問題の70年は、この一行の反復だったのかもしれない。
結論——60年前に提出された「宿題」
エクセター事件は、①複数の独立した目撃、②警察官という質の高い証人、③空軍公式の「未確認」分類、④政府の説明撤回と謝罪——という4点を備えた、古典UFO事件の中でも突出した事例だ。KC-97説をもってしても、無音・低空・静止という証言の核は崩せていない。
一方で、写真もレーダー記録も残らなかった以上、「未知の飛行体」と断定する根拠もまた存在しない。残されたのは、誠実な目撃者たちと、彼らを一度は切り捨てて謝罪した制度の記録である。目撃を嘲笑せず、データとして残し、説明できないものは「説明できない」と認める——エクセターが1965年に突きつけたこの宿題に、現代のUAP調査はようやく答え始めたところだ。
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